雑誌「日経トレンディ」の「2023年 来年の顔」に選出されたことで話題の若手俳優、高橋文哉さん。
2022年10月クール放送のドラマ「君の花になる」でも活躍されています。
今回はそんな高橋文哉さんの 子供の頃のイケメン画像やエピソードなどを紹介しますよ!
もくじ
画像|高橋文哉の子供の頃のイケメン画像まとめ!
さっそく、子供の頃の高橋文哉さんのイケメン画像を紹介しますよ!
赤ちゃんの頃の高橋文哉さんです。
パッチリ見開いた目がキュートです!

(真ん中が高橋文哉さん)
続いて兄弟とのスリーショットを二枚紹介!
更に幼い子供の頃の可愛らしい写真ですが、年齢を考慮するとやはりしっかりとした目をされているという印象です。
一緒に写っているお兄さんたちもカッコいいですね!
こちらは高橋文哉さんが9歳の頃の写真です。
ご自身がTwitterにアップしたこの写真、何より目を引くのはくりっくりの大きな目!
ファンからは「既に完成されている」「この時からお顔が整っている」と絶賛の声が集まりましたよ!
確かに可愛さだけではなく凛々しさも感じられますよね。
高橋文哉さん、小さい頃は今と違って坊主に近い髪型だったこともあったようです!
こちらはお母さんとの2ショット。
子供の頃からすでにジャニーズ級のイケメンですし、お母さんにぴったりくっついてかわいいですね!
中学、高校生時代にもなるとやはり今のようなイケメンになられていますよね!
一緒に学校に通っていた女子達は毎日キャーキャー言っていたのかも!
高橋文哉の子供の頃のエピソード4選!
ここで、高橋文哉さんの子供の頃のエピソードを紹介しますよ!
①一人で留守番ができなかった
子供の頃の高橋文哉さんは一人で家で留守番できないような、甘えん坊だった模様。
こんなに可愛い息子に留守番が怖いと泣かれてしまうと、お母さんも家に置いていくのは大層心が痛んだことでしょう。
②3兄弟の末っ子で甘えん坊
高橋文哉さんには先述の通り、お兄さんが二人いて、子供の頃からとっても甘えん坊だったのだとか!
一人(右)が8歳上、もう一人(左)が6歳上とのことです。
大人になったお兄さんも高橋文哉さん同様イケメンです!
高橋文哉さんは全国高校生美男子コンテストである「ミスターコン2017」で優勝し、芸能界デビューされたのですが……
ミスターコン出場の際にはお兄さんたちも協力されていますよ。
末っ子ということもあり子供の頃から甘えん坊だった高橋文哉さん、二人のお兄さんは高橋文哉さんにとって目標だったそう。
兄の影響でスノーボードを始めたり、兄の影響でバレーボールを始めたり。
お兄さんからの影響をとても強く受けていますよ。
『2人の兄について「今も目標ですし、『まだ超えられないな、この人たちは』と思いながらいつも一緒に遊んでいます。もうちょっと頑張って、実績を残して、胸を張って『抜かしたぞ!』って言いたいなと(笑)」』
(高橋文哉、子供時代から2人の兄が目標 志の高さに刺激「現状に満足してはいけない」 (2) (mynavi.jp) より)
たとえ職種が違っても、高橋文哉さんにとってお兄さんは今も超えるべき壁なんですって。
③お母さんにハンバーグを作ってあげた
高校時代は料理学校に通い、一時は料理人になるのが夢だったという高橋文哉さん。
料理人を志したきっかけは、子供の頃(小学4年生)にお母さんにハンバーグを作ったことだと言います。
『母の誕生日に、僕がハンバーグを作ったんです。焦げてしまいましたが、「おいしい。ありがとう」って笑顔で食べてくれました。喜んでくれた母の表情を今も覚えています。とてもうれしくて、料理を作ることを仕事にしたいと思うようになりました。』
(「仮面ライダーゼロワン」主演俳優 高橋文哉さん 料理人志望から芸能へ「変身」そのとき母は… | 東京すくすく | 子育て世代がつながる ― 東京新聞 (tokyo-np.co.jp) より引用)
お母さんが喜んでくれたのが嬉しくて、以降も料理の練習を続けたのですね。
以降は、仕事に行っているお母さんの帰りを料理を作って待っていることもあったそうですよ。
高橋文哉さんは子供の頃から今までずっと、お母さんの料理が大好き。
高校一年生の頃は悔しさもあって、アドバイスなどを聞くこともできなかったそうですが……
『昔は料理について何か言われると、「もう、わかってるよ!」って文句を言ったこともあったけど、逆に聞いたほうが倍以上の知識が身につくって気づいてからは、素直にアドバイスを聞き入れるようになりました。』
(試行錯誤でたどりついた絶品ハンバーグ | 高橋文哉「ぼくの毎日ごはん」 | よみタイ (yomitai.jp) より引用)
結局お母さんには敵わないと思い直し、以降は素直にアドバイスを聞くようになったんですって。
微笑ましいエピソードです!
④負けず嫌いだった
子供の頃の高橋文哉さんは寂しがりで甘えん坊、でも負けず嫌いでもあったとか!
『中学校だったらバレーボールの試合で負けたこと、小学校だったら、かけっこで転んだこと。そういう悔しい思い出しかすぐ思い出せないので、小さいときから負けず嫌いだったのだと思います』
(高橋文哉、子供時代から2人の兄が目標 志の高さに刺激「現状に満足してはいけない」 (2) (mynavi.jp) より引用)
子供の頃は、年の離れたお兄さん2人に、何をするにしても敵わなかったという高橋文哉さん。
バレー、スノボ―など、お兄さんに負けてしまって悔しい経験をすることが多かったはず。
そんな子供の頃からの経験の積み重ねで、負けず嫌いに育ったのですね。
大人になった今でも負けず嫌いはそのままだという高橋文哉さん、そんな性格が芸能界での活躍にも繋がっているのかも!
高橋文哉の子供の頃の生い立ちは?
高橋文哉さんの子供の頃の生い立ちを紹介しますよ。
①母子家庭で育つ
高橋文哉さんの両親は、高橋文哉さんが中学一年生の頃に離婚されています。
その後からお母さんは、飲食店経営をしながら大型ショッピングセンターのパートをするなど、本格的に働くようになりました。
高橋文哉さんは子供の頃からの夢であった料理人になるために、調理師免許と高卒資格を取れる私立高校に進学。
『最初は高卒で就職、お金をためて調理の専門学校に入る考えでした。でも母は「一番早く調理師免許を取れる道に進みなさい。お金がないから負担もかけるけど自分のやるべきことをやりなさい」と。』
(「仮面ライダーゼロワン」主演俳優 高橋文哉さん 料理人志望から芸能へ「変身」そのとき母は… | 東京すくすく | 子育て世代がつながる ― 東京新聞 (tokyo-np.co.jp) より引用)
高校時代は中華料理屋でアルバイトをして奨学金を返しながら、高橋文哉さんは少しでもお母さんを楽させるために時間の限り働いたそうですよ。
とっても親思いの息子さんです。
そんな息子が料理関係の学校に進みながらも、芸能界へと方針を転換した時はお母さんも心配だったはず。
しかしお母さんは「いいんじゃない?」と息子の決断を支持してくれたそうです。
芸能と学校の両立も、お母さんの支えがなければ叶わなかったと高橋文哉さんは語っています。
②実家は飲食店
先述の通り、高橋文哉さんの実感は飲食店を経営されていました。
高橋文哉さんが子供の頃から料理に興味を持っていたのは、実家が飲食店をしていた影響かもしれませんね。
調べてみたところ、埼玉県春日部市にあった「でぶや」というお店が高橋文哉さんのお母さんが経営していたお店のようですよ。
店名のセンスが独特です!
残念ながら現在は閉店してしまっているようですが、開店中は人気店だったという情報もありました。
まとめ
今回は高橋文哉さんの子どもの頃の画像やエピソードについて紹介しましたよ。
二人のお兄さんと共にお母さんを支えていた母思いの高橋文哉さん。
留守番ができずに泣いていた子どもの頃から、とても立派に育ちましたね!
高橋文哉さんのこれからの活躍にも要注目です!
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